#24 私たちの「性」は誰のものか?

『男子の貞操 僕らの性は、僕らが語る』坂爪真吾著

book review


 この人の言葉にはびっくりさせられてばかりだ。一般社団法人ホワイトハンズ代表理事の坂爪真吾さん。今年3月の特集取材で初めてお会いし彼が提唱する「性の公共」について聞いたときにも、私の性に対する既成概念はいとも簡単にひっくり返されてしまった。

 彼の最新書『男子の貞操 僕らの性は、僕らが語る』を拝読した。本書にも目からウロコの坂爪キーワードが満載だ。そして、思い知らされる。私たちがいかに性にまつわる呪縛のなかで生きているのか。そのことによって、いかにあらゆる社会的弊害が生まれているのか。

 本書はまず、こんな問いを読者に投げかける。

「僕らを射精に導くのは、一体『誰の手』なのか?」

 ほほう、冒頭から来たな、という感じ。利き手が右手の場合は・・・、などと思ったあなたは至極まっとうだ。しかし、彼の答えはまったく別の所にある。

 世の男性たちの性はあらゆる「記号」に支配されていると坂爪さんはいう。「女子高生」「人妻」「巨乳」「ロリ顔」「ヘアヌード」「無修正」「素人」「初脱ぎ」「教室」「オフィス」・・・。男性たちはこれらの記号が思い起こさせるものによって興奮し、射精にいたるのだと。これらの記号が人を興奮させるのはなぜなのか。

『男子の貞操 僕らの性は、僕らが語る』坂爪真吾著 ちくま新書 本体価格(¥800+税)
『男子の貞操 僕らの性は、僕らが語る』坂爪真吾著 ちくま新書 本体価格(¥800+税)

 勘のいい人はすでにお分かりだろうが、これらはあらゆる“してはいけない”設定を想起させる。つまりこの社会、より具体的にいえば国家権力によって”こんなことしちゃいかん!”とされている設定、そのタブーを破ることを想像して、男たちは興奮する。

 かつて日本ではいわゆるヘアヌード画像が禁止されていた。「ヘア」という言葉だけで興奮できる時代があったということだ。

「僕たちは、一見、自分の意志で、自分の好みの記号を選び、自分の手で射精をしている、と考えています。しかし、現実には、お上によって、直接的・間接的に産み出された記号を、無意識のうちに選ばされ、勃起・射精させられているのです」

 何を「わいせつ」だとするのかを国家権力が決定し、それを破ることで快楽を得る。つまり坂爪さんによれば、男性たちを射精に導いているのは「お上の見えざる手」だ。

 なるほど。グレーのスーツを着た霞ヶ関のお偉いさんたちを想像して、つい吹き出してしまう。

 しかし笑い事ではない。私たちがこのように自分たちの性 ― なにをもって快楽と感じるか ― を「お上」の判断に丸投げしてコントロールさせていることで、いろいろな社会的問題を生じさせていると彼はいうのだ。

 もっとも大きな弊害のひとつとしてあるのは「お上の見えざる手」に性をコントロールさせている男性は「タブー破り型」の快楽に陥りやすいことなのだとか。このタイプの快楽は長続きしない。一度タブーを破ってしまうと、より刺激の大きい快楽を求めてさらなるタブーを探していかなければいけないからだ。

 本書でも触れられているが、近年中高年男性向けの雑誌によく現れるようになった高齢者セックス特集。「死ぬまでセックス」とか「死ぬほどセックス」とか、その御歳になっても考えることは中学生とほぼ変わらないのだなと脱力してしまう。

 坂爪さんは、週刊ポストの「もう一度だけでいい 20代の女を抱いて死にたい」という特集を例にとり「『二〇代の若くてきれいな身体を持っている女性であれば、相手は誰でもいい。相手の女性の人格や感情を無視した、記号的かつ自己満足的なセックスをしてから死にたい』と、心から願う中高年男性」像に「お上」の記号に支配されつづける日本のおじさん(おじいさん)たちの悲哀をみている。

 そして、この「タブー破り型」快楽を追求することになんの疑問ももたず、自らの性を「お上」に丸投げしていることが、初体験のトラウマ化やより過激になる風俗、夫婦間のセックスレスから人間関係の欠落による社会的孤独にいたるまで、あらゆる弊害を生んでいるというのだ。

 この時点ですでに、いままで持っていた性にたいする概念をぐるんと回転させられた人も多いだろう。

 坂爪さんは「障がい者の性」問題を解決するため、2008年に非営利団体ホワイトハンズを設立した。現在全国で重度障がい者のための射精介助サービスを展開している。対象は「自分の力で射精ができない」または「射精を行うために、時間的、身体的に過度の負担がかかってしまう」脳性まひや難病などによる重度の障がいを持つ男性に限っている。

 さらにホワイトハンズは、性風俗産業を安心して働き、また利用できる場にしていくことを議論するSex Work Summitを開催、童貞を卒業するための学校「ヴァージン・アカデミア」も設立した。また「お上の見えざる手」によって選ばされている記号まみれの「ジャンクヌード」から脱却し、女性の裸を「血の通った生命」と捉えなおすためのヌードデッサン会「ららあーと」を開催する。

 東京大学在学中、上野千鶴子ゼミで新宿・歌舞伎町などの風俗店を取材してまわったという彼は、3月の取材でこう話していた。この社会には性に関する問題がいっぱいあるのに、そこへの解決の手段が「圧倒的に少ない」と。

「生きていくのに一番大事なものが、一番底辺扱いされているということが気に食わない」

 坂爪さんが「タブー破り型」の快楽にかわり提唱するのは「積み重ね型」の快楽だ。「特定の相手との人間関係や思い出を積み重ねることで、その相手に対する感情的な信頼を深めて行く過程で得られるタイプの快楽」なんだそう。

「お上」に決められた記号に踊らされるのではなく、相手の悦びを自分の悦びへと変えていく、それを糧にしていくことで持続的で「エコ」な性生活が可能になるのだと。その関係性を作っていくことは簡単ではないし、面倒臭いことだ。ましてやお金で買えるものでは決してない。しかし、だからこそ「これが自分の性なんだ」と胸を張って言えるものになるのかもしれない。

 本書のテーマは「男子の貞操」。しかし、この国の女子たちだって、十分「お上の見えざる手」に踊らされているのではないか。権力に作り出された記号に自分を当てはめようとして、無理をしてはいないか。国家が作り出した“エロ”の妄想を打ち壊し、自分たちの性を語っていこう。そう、女たちだって。

 

(文・小澤治美 写真・宮津かなえ)

 

NTM

 

特集第16回「性の公共って、何ですか」


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