いいところ発見

#01:会津喜多方・長床


 福島県会津喜多方に長床というところがある。正式な名称は新宮熊野神社だが、土地の人たちは愛着をもって長床と呼んでいる。どの土地にも拠り所となる何かがあり、その多くは神社仏閣であるように、この長床も古くは陸奥の時代から人々を結びつけてきた。

 長床というのは、本殿へ上がる石の階段の手前に長く大きく建てられた拝殿のことだ。長大な天井を支える直径45cmの大きな柱が約3m間隔に44本も立っている。四方が吹き抜けになっていて、それが拝殿の柱なのかその向こうの杉の大木なのか、見間違うくらいだ。

 長床を訪れたのは5月。銀杏の大木から若々しい黄緑色の葉が空いっぱいに広がっていた。でも大銀杏が立つのは拝殿のすぐ手前。そのまえに、まずは入り口、大鳥居から始めよう。

 喜多方の街中から少し外れたところに長床はある。とても静か。ひっそりという言葉がよく似合う。巨大な観光バスなど1台も停まれそうにない小さなスペースが、大鳥居の横に空いているだけだ。だからそこを訪れる人は、その鳥居がアンバランスに大きいことに少し驚くかもしれない。たいそう重そうなしめ縄の上に熊野神社とあり、その左には長老を思わせる大きな槻の木がたっている。長い年月の末に空洞化し、幹が外壁のようになってもまだ若葉を空へ向かってのばしていた。


 拝観料は300円。「宝物殿も観れっから」と社務所のおじさんが教えてくれた。

 けして長くはない参道には、紀州熊野の古道にもひけをとらない杉の大木が並んでいる。そう、新宮熊野神社は紀州熊野に由来している。

 保存会の資料が『新宮雑葉記』から引くところによれば、その歴史は天喜3年(1055年)まで遡る。源頼義・義家親子が「陸奥征伐に赴く際、武運を祈って紀州熊野から・・・勧請創建したのが始まり」だそう。東北を平定し和平がかなえられた暁には「熊野三社を陸奥のいずれかへ勧請し、国家鎮護の祈願所とすることを神に誓った」のだという。

 参道を進むと横に平べったい顔をした「あ・うん」の狛犬がおり、その左奥には樹齢800年の大銀杏が立っている。長床に次ぐこの神社のシンボルだ。幹の太さもさることながら、大きく天へ広げた枝葉の大きさに圧倒される。秋には黄金の葉が境内を埋め尽くすそうだ。

 拝殿には大小の鐘とひかえめな賽銭箱。吹き抜けの板床にはスリッパが何足か。「どうぞお好きに上がってください」ということなのだろうが、なんとも商売っ気がない。

 間口27m奥行き12mの拝殿をぐるりとまわり、本殿へつづく石段の下へ出る。風雪のなかで朽ちかけたような石段を登ると、そこには頼義が誓ったように社殿が三つ鎮座していた。熊野三社といえば、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社のこと。かつて人々を熱狂させた熊野信仰を思えば、この東北の地でいかにこの熊野神社が土地の人の尊敬を集めてきたかを想像できる。

 もちろん新宮熊野神社においても、本山と同じく神の使者は八咫烏。三本足の烏は「勝運のお守り」として今では日本サッカー協会のシンボルマークにもなっており、逆にそのことの方が知られているかもしれない。熊野本宮大社でもサッカー祈願のお守りやらおみくじやらでたいそう賑わっていたが、ここ新宮熊野神社はそちらの商売っ気もないようで。

 

熊野信仰のその先に

 ただひとつ現代的な色気があるとすれば、神社の歴史を録音したテープが自動再生で延々と流れているくらい。それがなければ、自分がいつの時代に生きているのかわからなくなりそうだ。

 最盛期には「末社、霊堂が軒を連ね、三百余宇の衆徒、百余人の神職を常駐させて」いたほど賑やかだったという新宮熊野神社だが、長い歴史のなかでは源頼朝に社寺領を没収されたり、戦国時代には宝物を奪われたり。さらには慶長16年(1611年)の大地震でほとんどの建物が倒壊してしまったとのだとか。本殿は残ったものの、現存する長床は旧材を用いて一回り小さく再建されたものだそうだ。かつての拝殿が果たしてどれほど長大なものだったのか。鳥居と長床が、境内全体からして不均衡に大きいのにはこういった訳があったのだ。

 宝物殿の目玉は、なんといっても大きな獅子に乗った文殊菩薩像。源頼朝に社寺領を没収されたあと、神社の長吏は鎌倉まで社領の安定を請願する旅にでる。その際、神社の領地を保証する印として賜ったものが、この木造文殊菩薩騎獅像なんだそうだ。

 命がけで将軍へ直訴し持ち帰った菩薩像。かつては長床の脇に建つ文殊堂にあり、獅子の足の下をくぐると頭がよくなるという言い伝えがあったそうだ。何人もの子どもたちがその足下をくぐってきたのだろう、後ろ足の爪先が磨かれてピカピカに輝いていた。

 宝物殿には他にも薬師如来像、可愛らしい顔つきの十二神将、烏文字を掘った牛王版木など神仏融合の日本らしい宝物がたくさん観られるのだが、最も興味深かったのは往時の奉納相撲の様子を伝える品々が残っていることだ。今でいうところの番付表や木造の相撲像で、赤力士、白力士とペアで観られるのも楽しい。子どもも大人もこぞって境内に集まり、見たこともないような大きな体の男たちが裸でぶつかりあうたびに歓声を上げる。そんな様子が目に浮かぶ。

 社務所に戻り御朱印をいただくと、おみくじを引いてみたくなった。

「凶が出たらそれは“今日”だけのこと。もう一度引いていっから」

 やさしいおじさんとおしゃべりをしながら引いたのは吉。運勢もおじさんとのおしゃべりも初夏の風も。なんとなくちょうどいい気持ちで、大鳥居をくぐった。

 

(文・写真 小澤治美)

 

NTM

<行き方>

JR喜多方駅よりタクシーで10分、会津バス真木行き・新宮下車(7.5km)徒歩3分


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